日本を良くしたいという心が利用される危険

日本を良くしたいという心が利用される危険については常に念頭に置く必要があるかもしれない。

日本を良くしたいという心は、戦前の愛国心として、為政者に利用されてしまった。本来は、日本を良くしたいという心は良いもののはずであるが、それが非国民という言葉と結びつき、人々を蹂躙するのに使われてしまった。

それ以来、日本を良くするということにはマイナスのイメージがつきまとうようになったのではないだろうか。

日本を良くしたいという心が利用される危険については十分な注意が必要だろう。しかし、本来は、日本を良くしたいというのは別段悪いことではないことにも注意が必要ではないだろうか。
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戦争体験の傷跡

日本を良くしたくなるという人が少ないのは、戦争体験の傷跡のせいもあるだろう。

日本を良くしたいという心が、お国のためとなり、他国を傷つけてしまった。このような反省は必要であろう。

そのため、日本を良くしたいという考えは危険とみなされるようになり、自分のためだけに生きる人が増えてしまった。

日本を良くしたいという考え方は、他国への思いやりを欠いてはいけないだろう。他国や他国の人もよくしていくことが、自分や日本を良くしていくことにつながるのではないだろうか。
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利己性と非利己性

人間は利己性を持っている。利己性の完全な克服は難しいだろう。

しかし、人間は非利己性を持っている。道で人が倒れていたら、誰かに通報するだろう。このように、人間は自然な性質として、非利己性を持っている。

人間は利己性があるから、日本を良くしようという人はいないというのは事実に反している。人間は利己性を持っているが、非利己性も同時に持っているので、日本を良くしようという人はたくさんいる。

進化の過程では、利己性だけが生存に有利に働くわけではない。道で人が倒れていたら助けたくなる方が、生存に有利に働くだろう。

だから、人間には進化の過程で、非利己性も備わっている。人間は、利己的に作られているというのは、一面的な見方にすぎないだろう。
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自分さえ良ければという考え

自分さえ良ければという考えが、日本をだめにするかもしれない。

自分さえ良ければという考えは、自分さえ良ければ他人はどうなってもよいという考えにつながりかねない。

自分さえよければよいのであろうか?

日本の発展を支えてきた人たちへの感謝の気持ちが必要である。

自分さえよければという考えではなく、日本を良くすることが必要だろう。

今日のアイディア
自分さえ良ければという考えではなく、日本を良くしたくなるようにする。
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愛国心と日本を良くすることの関係

愛国心というと、戦前の日本のことを思い出す人も多いだろう。愛国心が強制された忌まわしい記憶である。

しかし、愛国心自体は、本来は悪いことではないと言えるだろう。日本を良くするというのも、一種の愛国心といえるだろう。

愛国心という言葉に抵抗を持つ人も多いようなので、日本を良くする心を日良心という言葉にするというアイディアもありうるだろう。

今日のアイディア
日本を良くする心を日良心と名づけることにより、愛国心という言葉に抵抗を持つ人も、日本を良くしたくなるようにする。
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社会改善欲の撲滅

日本を良くしたくなるというテーマでブログを書いてきたが、今回は、社会改善欲の撲滅について考えてみたい。

社会改善欲というのは、良い欲なのか、撲滅すべき欲なのかという問題をずっと考え続けてきた。

社会の改善欲がない社会は、発展途上国の一部に見ることができる。道路もなく、インフラもない。文明からは隔絶した生活をしている。

しかし、そういうところに住んでいる人が不幸なのかどうかは主観的なことなのでよく分からない。

社会改善欲が撲滅されるべきものかどうかについては、日本を良くしたくなるブログにとっては根本的な問題であろう。

今日のアイディア
社会改善欲について考えることにより、日本を良くしたくなるということが本当に良いことなのかどうかを深く考えるきっかけとする。
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徳育と儒教、教育勅語

徳育が正式教科になるそうだ。自分のことばかり考える若者が増えたので、道徳心を身につけさせようという面では評価できるだろう。

しかし、徳育という言葉は誤解を招きやすいだろう。「徳」というのは儒教の言葉と思われる。儒教文化圏の日本では違和感がないが、外国から見ると違和感がないだろうか。

たとえば英語で「徳」に厳密に対応する概念はないと思われる。virtueが近そうだが、「徳」とは違うだろう。moralは道徳なので、道徳ならキリスト教文明圏からも違和感がないだろう。

日本人は、儒教が宗教だとは思っていない人が多いが、世界の視点から見れば、儒教は宗教である。徳育という言葉は、国家が特定の宗教的な価値観を育くむというイメージがあるのではないか。

教育勅語も、内容は儒教文化圏では多くの人が納得するようなことが書かれているが、国家による強制があるのはまずいとされた。日本人の多くが支持する徳には、世界的に普遍的な価値と、儒教圏だけのローカルな価値が混在しているだろう。

まあ、日本を良くしたくなるというのも、愛国心として普遍的な価値があるといえるかどうか疑問であるので、日本だけのローカルな価値をブログ等で推進するのも日本を良くするために悪いことではないだろう。ただ、国家による強制が伴うと話は別だろう。日本を良くするのは、自発的な運動でなければならない。しかし、自発的に日本を良くしようとする人があまりにも少なくなり、日本もあせっているところであろう。本ブログのように、国民の側から日本を良くする運動を盛んにしなければならない。

徳育という概念は、多くの日本人は支持するだろう。儒教が社会に根付いているからである。しかし、徳育を支持しない人も少数ながらいる以上、道徳教育というようなできる限り世界的に普遍的な言葉を使う方がよいだろう。

もっとも、徳育も内容は道徳教育なのだろう。教育勅語のように、目上の人は敬いなさいなどという概念は出てこないと思われる。

日本を良くするためには、できる限り全世界に普遍的な道徳教育をもっとしっかりやるということで良いだろう。徳育という言葉を使う必要は特にないのではないかと思われる。

今日のアイディア
日本を良くしたくなる運動を国民の側から盛り上げることにより、日本の日本を良くしてほしいというあせりを解消し、徳育という言葉を使うことはやめる。
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自分のことばかり考える人

発展途上国では、自分のことばかり考える人が多い。だから、みんなが損をしてしまう。

自分のことばかり考える人が日本でも増加しているようだ。自分のことではなく、日本を良くすることを考える人が、日本は比較的多い国だったが、近年の若者は自分のことばかり考えるようになってきている。

自分のことばかり考えると、そのときは得をしたような気がするかもしれない。しかし、得をして何になるのであろうか。

今日のアイディア
自分のことばかり考える人が多くて発展しない発展途上国を思い浮かべ、日本を良くしたくなるようにする。
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腐敗と発展途上国

発展途上国では、警察につかまったときに賄賂を渡すなどが常態化している国もあるようだ。

日本は、比較的腐敗の少ない国である。これは、国を良くしたいと考えている人が、腐敗した発展途上国よりは多いということである。

日本を良くしたいという人は、現在減ってきている。自分のことばかり考えている人が増えてきているのである。これは由々しき事態である。

今日のアイディア
腐敗した発展途上国を思い浮かべ、日本を良くしたくなるようにする。
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ホームページによる日本改善

日本は日本語というマイナーな言語を使っているにもかかわらず、ホームページが非常に充実している。

ブログの記事は、日本語が一番多いそうだ。日本人が一生懸命日本語で情報を発信しているから、日本語で検索しても有用な記事が見つかるようになるのである。

日本を良くしようとしている人はたくさんいる。それを知れば、日本を良くしたくなるのである。

今日のアイディア
日本語のページがたくさん存在することを知り、日本を良くしたくなるようにする。
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